久間防衛大臣の「原爆はしかたがない」に対する安倍首相の反応をどう見たらいいのだろう?なぜアメリカに謝罪を要求してはいけないのか?
2007年7月1日の党首討論で、民主党の小沢代表が、政府が米国に対して謝罪を求めるべきだとの考えを示したのに対し、安倍首相は「米国に謝罪せよと言うことにエネルギーを費やすより、核廃絶を目指して全力をあげることが私たちの責務だ」と述べた。http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070701ia22.htm
直裁に言えばこの安倍首相の発言はごまかしだろう。本当は核廃絶を求める気などなく、ただ原爆を嫌う日本の国民感情を逆なでするのを恐れ、反対しているかのような態度を装っているだけだろう。
なぜそう言えるのか?
その前提にはまず日本人の原爆の悪さに対する曖昧な認識がある。久間長官の発言に対する日本人の反応は「原爆はあんな酷いことになるから悪いことだ」という曖昧なレベルを出ないだろうし、またそれが唯一だという見方も見える。しかし核兵器廃絶を求める上ではこういう感情論は残念ながらあまり有効ではない。アメリカ人は言うだろう「確かに核兵器は多くの犠牲者を出し悲惨な結果につながる、しかしそれは強力な兵器だからであり、戦争とはそういた悲惨なものだ」。だから核兵器を廃絶するとは、戦争自体をやめろというような夢物語のような非現実的なものだと取り合わないのだ。
しかし実は日本政府が核兵器廃絶の理由としているのは国際法に反するからというものであり、直接的にはこうした感情論ではない。核兵器は本当は法律違反(国際法違反、戦争犯罪)だから使用すべきではないのである。これがはっきりしていれば、アメリカが60年前に犯したこの間違いを明確にするため謝罪を求めることの意味がわかる。
そこで起こるのはアメリカ側からの反発、日本人は未だにアメリカを恨んでいるから謝罪を求めるのだという声だろう。それは自ら戦争をおこし、負けた国としては間違った態度だと否定されるだろう、「真珠湾を思い出せ!」である。だがほとんどの日本人は原爆についてアメリカへ恨みを持っていないと言い切れるだろう。日本人はそうした個別的な恨みではなく、原爆投下は人類に対する犯罪・脅威であり、国際法違反の行為だったから謝罪を求める、のである。それを明確にする上で謝罪を求める事が有効だから行うべきなのだ。実際これを明確にするために日本政府を相手に過去に国内で裁判が行われている。
こうした戦争責任-謝罪-裁判-賠償という関係は、ほとんどの戦争の残酷な行為に共通するものだ。そして謝罪要求が有効である事を、日本人は現在よく知っている。即ち2007年6月26日の米国下院外交員会での旧日本軍の「慰安婦」に関する謝罪要求決議である。こういう現実的・現在形の行為により、日本人は慰安婦問題に直面したし、同じように原爆に関して謝罪を求める事でアメリカ人は原爆投下が正しい行為か否かに直面するからだ。
恐らくそこでは、まず日本人の広島・長崎への原爆への態度が議論され、アメリカ人は自らの行為を冷静に判断できるきっかけを与えられるだろう。そして原爆投下が正当か否かでは1990年代の国際司法裁判所での議論と同じようなものが展開され、謝罪は拒否されるだろう。国際司法裁判所は「国家存亡のかかった自衛の極端な事情の下では、合法か違法かはっきり結論できない」としたからだ。しかし同時に「核兵器の威嚇または使用は人道法の原則と規則に一般的に違反する」という本質的な結論を出した。
こうしてアメリカへの謝罪要求で、広島・長崎への原爆投下が、冷静な目で見れば戦争犯罪に当たることをアメリカ人が突きつけられる事になるだろう。安倍首相の「謝罪にエネルギーを振り向けるより、核廃絶を訴える」という発言はこうした動きを予想すれば、詭弁としか言いようがない。安倍首相は広島・長崎に原爆が投下されたことは仕方がないと思っているとしか思えない。


by エーリヒ・ハルトマン
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